手の内の説明で
『雑巾を絞るように』
と説明する人がいる。しかしこれは本来は『茶巾絞り』である。
現代では茶巾そのものは茶道でも習っていなければなかなかお目にかかれないものである。
だから現代人にわかりやすく雑巾絞りという言い回しをするのだろう。
しかしながら手の内の作用として茶巾と雑巾では雲泥の差がある。
茶巾は薄くて小さい、雑巾はかなり厚みがあり大きい。
茶巾は握るだけで、つまむように、よもやすると引っ張るようにすれば簡単に絞れる。
さて問題はこの現代人風にアレンジした説明をさも本当のように思い込んでしまうことである。
つまり右手と左手それぞれて親指方向へ捻るように打つというものだ。
これはどう考えてもおかしい
わかりやすく説明するなら片手打ちだ
上段からの打ちをちょっと考えてもらえば片手で絞るように打った場合は刃筋はどうだろうか?
もちろん刃筋は立たない。当然諸手であっても右手と左手で逆回転を与えて絞った場合は切れるはずもない。
そもそも手の内は『絞る』ではなく『締める』だ。
締めるのならば茶巾の絞りとの整合性はある
私的になおかついうなら手の内は『勝手に締まるもの』
むしろ打った直後に脱力することのほうが難しく大事だと思う
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